2017.04.28

延期公演二日目、ツアー最終日、終わりました。
すごかったです。やばいです。
コンサートを見ながら涙は流れなかったんですけど、今、書こうとしている横にプロデューサーのミキハルさんが来て、清々しい笑顔で「お疲れさまでした」と握手を求められたら、涙が出てきてしまいました。
今朝から今日のことで頭が一杯で、9月からのことを振り返ったりしなかったんですけど、やっぱり色んなことがあったんだなあ、と思いました。何があったのか、出来事を一つ一つ思い出すというより、感情としてこみ上げてきた。感情として、です。堰を切ったようになってしまいました。色んなことがあったんだなあ、という実感でしょうか。そう、出来事じゃないのかもしれません。札幌でPAの音が出なくなったとか、福岡が延期になったとか、そういうこともあるわけですけど、それだけじゃない。長野の前に、二度とないツアーになると思う、と書きました。それは、体力的なこととかも含めて、もうこういうツアーはないかもしれない、という予感もあったからなんですね。浜田さんだけじゃなくて、今回のチーム全体に、今までと違うハードルを超えよう、という暗黙の覚悟のようなものがある気がしたんですね。そしてやりながら今まで経験したことのない壁も感じていた。それを果たせた。乗り越えた。やり切った。僕も、それを一緒に体験出来た。現場にいることが出来た。目撃させてもらった。そういうことも踏まえての「色んなこと」がこみ上げてきたんだと思います。
今は大丈夫ですよ。若干手が震え気味ですけど、涙は出てません。プロダクションルームというところにいますし、次々と色んなゲストも来てますし、こんなところで感傷的にはなれません。
廊下を挟んだところに浜田さんの楽屋があるんですが、さっき、古くからの知人の方と笑顔で挨拶して「とりあえずシャワー浴びてきます」と消えました。
いきなり総括的な話になってしまいました。
少し落ち着こうと思います。

フィナーレならではのコンサートでした。
昨日は、思い残すことがないなんていうことはない、などへそ曲がりなことを書いてしまいました。でも、そういう感じでした。思い残すことはない、やり残したことはない。喉が終わってしまってもいい。全てを出し切ったというコンサート。でも、完全燃焼というような肉体的なものじゃない気がしました。もっと精神的。スピリチュアル。肉体と精神が一体になっている。肉体をコントロールする精神がある。こういうのを入魂というんでしょう。でも、人を寄せ付けないとか、近寄りがたいわけじゃない。その逆。彼の方から近寄ろう近寄ろうとしていた。気持ちの近さという意味でも今日は特別だったかもしれません。
お客さん、一杯入ってましたねえ。
サイドの見切り席、袖の席までも埋まっていたんじゃないでしょうか。僕はスタンド正面で見ていたんですが、左右の隅々にまで人が入ってました。この会場は、視界が広いんで、一番奥の方までよく見えてました。表情までは分かりませんけど、自然とわき上がる拍手や一緒に歌っている空気、アンコールの時もそうでした。予定外のアンコールもありましたからね。「今や、みんなの歌、一緒に歌える?」という呼びかけで始まった「家路」のとびきりの大合唱の後のアンコールに応えて、再び姿を見せて生ギターで「サイドシートの影」を歌ってからミラーボールの下での「ラストダンス」。フィナーレだなあと思わせてくれました。ミラーボール、良かったですよねえ。画面に浜田さんの表情がアップになって、イヤモニを外して客席の歓声を聞いて嬉しそうな表情も見えてました。
と書いていてどこかもどかしい。
なかなか一番書きたい感情に届かない。
今、バラシをやっている最中のPA松本さんが現れて「良かったでしょう、今日」と握手を求めてきました。「トランポの佐藤は涙が涸れたって」と笑ってました。彼も「J.BOY」ツアーから参加してますからねえ。みんな「色んなこと」が押し寄せてきたんだと思います。さっきまでこの部屋に「ロード&スカイ」の高橋社長がいたんですが、彼は岩熊さんに「「片想い」で九電記念体育館を思い出してしまった」と言ってました。九電記念体育館、79年7月22日だそうです。まだツアーが組めるようになる前です。そういう思い出すことの多さはスタッフもファンも一緒じゃないでしょうか。40年ですからねえ。
曲名を書けますね。一曲一曲書く余裕はないですが「路地裏の少年」のことは触れておきます。自分のこととして、ですが。長野で泣きました。40年前のデビューコンサートのことを思い出したりもしました。自分のその頃のこともね。長髪で、いつまでこういう仕事をするとかの意識は毛頭なくて、今目の前にあることで好きなこと、許せることだけやろうと思っていた頃のこと。長野で聴いた「路地裏の少年」は、そんな曲でした。
あれから40年、なんですね。

何だか収拾が付かなくなってきてます。
収拾なんかつくわけがない、というツアーでもあるのかもしれません。それぞれの時間がこれだけ重なったツアーが、そんなに見事に整理出来るわけがない。このツアーを忘れない。このツアーを刻みこんでおく。9月からの日々がどういうものだったのか、もう少し時間が経って、改めて思い出すことでもあるのかもしれません。時間が経てば経つほど、かけがえのない記憶になってゆく。そんなツアーなんだろうと思います。今という時間の大切さが、年々増してゆくように、です。
曲のこと、これは書いておきますね。
リハーサルで浜田さんがメンバーに説明していたこと。「AMERICA」についてでした。
実は、名古屋と福岡ではラインナップから外そうと思っていた、と。なぜかは簡単でしょう。この四ヶ月の間にアメリカも世界も変わった。あの歌を書いたのは84年で、今のようになる前だった。あの歌はアメリカへの幻滅を歌ったもので、「浜田はアメリカ好きなんだと思われるような歌じゃない」というようなことを戦後の世界の構造と一緒に説明してました。でも「歌に罪はない」んでやります、とも言ってました。音楽と世界。フィナーレが単なるお祭りの夜にならなかったのは、「マグノリアの小径」の前の世界の”格差”についての話があったりしたからでもあります。昨日の”宣言”の続きは「ロックンローラーに戻る」でした。こんなに知的なロックンローラーがいるでしょうか。最後の言葉は「次に逢う時はどんなあなたになっているんでしょう。次に逢うときは、どんな私になっているでしょう。でも、元気で。身体に気を付けて。必ず再会しましょう」でした。

今、4月28日、午前0時。日付が変わりました。
長野から始まって、日付が変わったのは初めてです。
何だかずっとこうして書いていたい気分でもあります。楽しい体験でした。今日、「J.BOY」を聴きながら、怒りも悲しみも空しさも、それを受け止める力も吹き飛ばすエネルギーも突き抜ける意志も、ここにあるなあと思ってました。そういう合唱でした。最初から最後までそうでした。
コンサート会場が一番好きです。
良い年をして、ここに来ると、自分が一人じゃないと思える。きっと客席のみなさんもそうだったんじゃないでしょうか。どんな悲しいことがあっても、音楽がそこにある。どんなに辛い目にあっても音楽は裏切らない。浜田さんのツアーは、そういう積み重ねの場だと思います。
出来る事はやった気がしてます。
そういう意味では思い残すことはありません。
でも、縛りが色々ありました。
曲名も演出もMCも、全部入れて書ける日が来ることを願ってます。

今、午前0時45分。もうステージは影も形もありません。フロアーには11トントラックが5、6台入って作業してます。形あるものは消えてゆきます。でも、それぞれの心の中でステージは生き続けます。メンバーは演奏し続けます。あなたと浜田さんの歌声も鳴り続けます。
ありがとうございました。
田家秀樹